コンセプト

自己紹介

はじめまして!

まるこです。

本日はこのブログにお越しいただき、どうもありがとうございます!

私は、もともとWEBの知識もスキルも実績もなかった、3人の男の子のワーママです。

しかし、3人目の育休中に、在宅で、Webマーケティングを活用したビジネスを副業として始めることを決意しました。

目標は、1年後に在宅で副業月収50万円、2年後に月収100万円を達成することです。

「いやいや、在宅で?本業もあるのに?子どももいるのに?無理でしょ~」と、思われましたか?
でも、私は本気でこの目標を達成すべく、現在最先端の環境で実践的に学んでいます。

この目標は、「できたらいいな~」という感じのただの夢ではなく、

①現状を正確に理解し
②目標達成時の様子をリアルに想定し
③そこまでに必要なスキルを正確に把握し
④すでに実践を積み重ねているところ・・です。

ただ、先ほども申し上げました通り、私は特段WEBの知識もスキルも実績もなかった、
まったくの別業種(教師)でバリバリ働いていた普通のママです。

それがどうしてWebマーケティングの道へ進むことになったのか!?

そのきっかけと経緯について、私の自己紹介を含めてお話していきたいと思います。

基本情報

名前:まるこ
性別:女
年齢:30代半ば
職業:教員
趣味:山登り、自然の中で過ごすこと、書くこと、工作
家族構成:主人と7歳・4歳・2歳の息子の5人家族
好きな言葉:諦めたらそこで試合終了だよ

教育界にメスを、と意気込んでいた大学時代

子どもの学力低下、意欲消失、未だ行われる一斉授業の弊害、
家庭環境の悪化、発達障害の増加、いじめや学級崩壊・・・

日本の教育界に蔓延る多くの問題をこれでもかというくらい真剣に考え、
どうしたらこれから出会うであろう目の前の子どもを救えるだろうかと考え続けた大学時代でした。

「子どもが好き」というよりは、(嫌いではないのですが)
世界を、社会を、変えるには初等教育の存在が非常に重要である、と
確信していたところがありました。

体育会系の部活に入って日々練習に明け暮れたり、ガテン系寿司屋でアルバイトしたり。
途中他業界に就職活動をするなど回り道はしながらも、
「教育」に関する情熱は常に持ち続け、その灯を絶やさぬまま、新卒で教師になりました。

一瞬で打ちのめされた新任教師時代

大きな志をもって、思い描く理想の教師になるべく教育界に足を踏み入れた22歳の私。
その理想がどれだけ難しく、困難なことであったが、一瞬で思い知らされました。

新任教師として赴任した4月。
30人の子どもたちとの日々は、想像していたより100億倍ハードでヘビーなものでした。

・初っ端から渡される、「新任の教師では不安です」という連絡帳。
・保護者会での母親たちからの冷たい目線。保護者間の揉め事の存在。
・子どもたちの「前の担任の方が良かった」という発言。
・丸つけ作業で時間があっという間に消えていく
・良い授業には膨大な準備時間が必要だが、とれない。荒れる教室。悪循環
・子どもたちは休み時間の度にもめて、喧嘩・話し合いの連続
・朝は1時間以上かけて7時に出勤。夜も仕事は終わらない。心も体もボロボロ
・学級通信は、夜、布団の上で徹夜で仕上げる始末・・

もともと「夢いっぱい、希望いっぱい」で志した道ではなかったし、
むしろ教育界の悪い部分をこれでもか、と見せられた大学時代だったため驚きはしなかったものの、
ああ、ここまで理想と現実は程遠いのかと打ちのめされた感覚でした。

職員室で泣いた日も、もう無理だと弱音を吐いた日も、
悩みすぎて病気を患ったこともありましたが、それでも当初の志が大きかったため、
歩みを止めることは決してなく、常に本を読み、研修に赴き、学び、即実践を続けました。
(それまでの人生で、困難をそれなりに乗り越えてきたのも大きかったかもしれません)

少しずつ軌道にのっていった激熱教師生活

新任の過酷な1年間を乗り越えた私は、
少しずつ教師という仕事に慣れていき、仕事を楽しめるようになっていきました。

どの児童にとってもわかりやすい授業のUD(ユニバーサルデザイン)化に励み、
休み時間には思いっきりともに遊び、学級通信では想いを書き綴り続けました。
自分でも思います。熱い、それはそれは熱い教員でした。

「教員は世間を知らない」と言われるのが嫌だった私は、
世界へ目を向け、知らない世界に飛び込む機会を大事にしたくて、
長期休みには主人と必ず長期間海外に出かけたりもしていました。

仕事は大変だったし、キツかったけれど、やりがいには溢れていて、
長期休みもあって、夫婦二人でいる分には何の問題もなく、
このままこうして年を重ねていくのかな・・なんて漠然と考えていました。(甘い)

第一の転機、可愛すぎる息子との出会い

そんな激熱教員だった私に転機が訪れました。
初めての妊娠・出産です。

仕事に生きがいを感じていた私に、それ以上の生きがいを与えてくれる存在が
爆誕したのですから、大変です。

可愛い。可愛すぎる。なんだこの可愛すぎる生き物は。

子どもができたら生活は激変する、と聞いてはいましたが、
これほどまでに!?というくらい変わりました。

もともと幼少期の関りがとにかく大事だと痛いくらいわかっていたこともあり、
真夏の炎天下の元、30園以上保育園を見学し、
ここしかない!!と思える、最高の保育園に入園が決まったのでした。

仕事復帰後の衝撃の変化

仕事に復帰してみて愕然。
それまでの熱い情熱。
もちろんあるんです。ありつづけてはいるんです。

でも、何かおかしい。

常に頭の中にあるのは、気づけばこんなことばかりでした。

・今日のごはん、どうしよう。帰ってから時間との闘いだわ・・
・○○(長男)の体調、大丈夫かな。鼻水出てたけど・・
病院行った方がいい?早くお迎えいった方がいい?
・また土曜日仕事か、、もっと家族と一緒にいたいな・・
・帰ってワンオペ・・体力キツイな・・温存しなきゃ・・
・今度の園の行事の日、休めるかな・・代わりの授業、誰に頼もう・・

割合として、我が子のことが98%、残る2%ほどが仕事のこと
大げさですが、それくらいに私の脳内も優先順位も変化してしまいました。

できるなら早く帰ってあげたい。
残業ができないから、とにかく効率重視で仕事。
休むため、先回りして、代替の手配に走る日々。

教育界にメスを、と意気込んでいたかつての自分はどこへやら。
ただの普通の、子どもが大事なママ、になってしまったのです。

育休→復帰を繰り返し・・

その後次男の妊娠・出産をまさにコロナ真っ只中で経験し、復帰。
さらには3男の妊娠・出産も経て、3度目の育休をいただきました。

あと5か月で仕事復帰だ・・
まてよ、私はもう出産はするつもりないから、
この復帰後はずっと定年まで教師を続けるってことだよね・・

急に恐ろしくなったのを今でも覚えています。

、、というのも、私が勤め始めた当初は退勤時刻が16時でOKでした。
朝が早い教員生活。でも、退勤が16時だったら子育てにはありがたい!
そんな風に思っていました。

しかし、働き方改革やらなんやらで、さまざま変革があり、
なんと職務規定が8時から17時半までに変更、それをほぼ週6勤務。
・・と改悪してしまったのです。

時短はしばらくとれるけれど、それだってずっとじゃない。
16時で上がって1時間以上かけてお迎え、ワンオペで寝かしつけまで。
それだって十分大変だったのに、今後乗り越えられるの!?

いや・・乗り越えられるかとかではなく、
私はこの容易に予想される、子どもと触れ合う時間の余裕も心の余裕もない
バッタバタの生活・子育て・人生を本当に望んでいたのだろうか・・

その頃、すでに長男の自我も爆発気味で、ぶつかることも多くなり、
「パパがいい」と言われてしまうことも増えてきていた私。

育休中でこれでしょ、復帰したら、もうまずいんじゃないか。
それまでなんでも気合と根性で乗り切ってきた私でしたが、流石にそわそわし始めました。

そして、教師以外の道に行ける可能性があるのか、ということを
真剣に、それはそれは真剣に、やっと調べ始めたのでした。

正解は、あるのか!?

バリバリの担任をやっていたときも、
育休明けて副担任や専科として勤務していたときも、
やりがいはあったし、学校の子どもたちとの刺激的な毎日は愛おしかったです。

ただ、年をとってもずっと第一線はきついだろうから、
いずれは図書室の先生になりたいな・・と司書教諭の免許も取得したりしていました。

しかし、重要なのは、「今」でした。
焦り始めた私が考えていたのは・・

・そもそも子どもとの時間をもっと確保できる働き方にしたい。
・朝も夜も、子どもとちゃんと顔を見て会話したいし、触れ合いたい
・幼少期こそ関わりが大事なのに、このままの働き方では恐らく近い将来、親子関係後悔する

じゃあ、仕事をやめて専業主婦になれば解決するじゃん、と思われましたか?
そう簡単な問題ではなかったのです・・

・私自身、社会との関わりが途絶えると、子どものことで頭がいっぱいになってしまい、逆にあまりよくない傾向がある。(育休中に実証済み)
・3人の子に不自由なくやりたいことをやらせてあげたいため、私の収入は必要不可欠
主人も、私には働いていてほしいと言っている。

私が働き続けるべき理由は明確にあり、
しかし今の働き方では時間的拘束も体力的にも問題が多すぎる。
この状況を打破するために、さまざまな求人を検索しました。

ただ、、これまでの経験が「教員」オンリーの私。
検索して出てくるのは、特にこれまでの経験のいらなそうな仕事もしくは教育関係の仕事。
もれなく給与ががくんと下がるものばかりでした。

仮に給与が下がったとしても、環境がめちゃくちゃ良ければ最高ですが、
3人の子持ちで転職と同時に、いきなり子の体調不良を理由に休めるかと考えたら、
やはりNOだな・・という結論に至ったのでした。

じゃあどうする。
そんなとき、ふと目を止めたのが、一つのLINEからのメッセージだったのです。

リモート副業!?在宅フリーランス!?

それはある方のInstagramアカウントをきっかけに登録していた公式LINEで
とあるオンラインスクールからのメッセージでした。

それまでは必要に迫られていなかったために、
恐らく目にも止まらなかったのでしょう。

でも気づけば、そこには今の自分にとって魅力的な言葉が、
ずらりと並んでいるではありませんか。

・在宅フリーランス
・リモート副業
・安定してSNSで集客
・私らしさを叶える副業
・ゼロから在宅で月収30万円
・Instagramを仕事にした方法・・

え、まって、これじゃない!?
在宅で、収入が得られるようになったら、
教員として働く時間を短縮していけるんじゃない!?

しかもこれまでのスキル、関係ない!?
なんか、とっても充実している様子の方の口コミもたくさんある・・
Instagramなら私にもわかる・・

こうして、私はそのままそのオンラインスクールの説明会に参加し、
その場で入会を決め、SNSでの発信・集客について学び、
Instagramのアカウントを開設し、1年間実践を繰り返したのでした。

しかしぶつかる壁、壁、壁・・

Instagramで集客について発信し、
ご相談くださったお客様のサポートをするお仕事は
それまでは知らない世界で、とても新鮮で、これまたやりがいのあるものでした。

しかし、あっという間に壁にぶつかりました。

時間が足りない。

単価が稼働時間に見合わない。

作業者のままでは収入に限界がある。

 

そもそも教師を続けながら、3人の子育てもしながらの挑戦。
わかってはいましたが、限りある時間を全て使って稼働しても、
収入の壁の限界を感じました。でも、諦めたくはなかった。

もっとクライアントに満足してもらいたい。
結果を出したい。

そんなとき、業界きってのWEBマーケターの方が、
直接指導してくれる機会に偶然出会い、これしかない、と即座に申込み、今に至ります。

私が現状の多くの壁を打破し、1年後の目標である副業収入月50万円を叶え、
その先2年後の月収100万円を達成するには、
より本質的なWebマーケティングを学び、実践できる環境に身を置く必要があると考えたのです。

最後に


私の目標収入は、1年後に月収50万円、2年後に月収100万円です。

ぜひ私を実験台のように考え、本職で忙しい3人男児のママでも、
本気でWebマーケティングでビジネスをしたら、この目標収入を達成することが
果たして可能なのかどうか、その答えをこのブログで確かめてみてください!

皆さんがもし私のやり方を参考にしてビジネスを始めようとした時、
その道しるべとなるために、しっかりと成長過程を記録に残し、発信していきます!

ぜひ定期的に、私の成長状況を見に来ていただけると嬉しいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!